備忘録⑤ 質問には答えを返そう
普段の会話の中に「質問とそれに対する応答」が生じる場面は多々あります。
ここでいう「質問」とは、ご飯何食べたい?みたいなひじょ〜うにライトな質問も含みます。というか主にその質問についてです。
「ご飯何食べたい?」
『なんでもいい〜』
「どっか遊びにいこ!どこがいい?」
『どこでもいいよ』
「もう帰る?」
『え〜、どっちでもいいよ』
そこに、お前の、意思は、ないのか!!!
せめて、和洋中どれがいいとか、映画の気分ではないとか、何かしら選択肢を提示しろよ!
これが何回も続いたら聞く気無くすわ!
と、私はこうなってしまうので、なんでもいい以外の何かしらの答えを返すようにしています。
辛いもの以外、冷たいものは嫌、などと好きじゃないものを伝えてくれるだけでもかなり助かります。少なくとも何も考えてないな、お前。みたいに怒りを抱くことはなくなります。
何も考えてないわけじゃないよ、ということを伝えるためにも、適当ばっかり、と怒られないためにも、これから先「なんでもいい」は禁句にしましょう。
備忘録④ 人の趣味を批判しない
人の趣味を批判しないようにしましょう!
否定的な意見を抱いたとしてもそれを相手に伝えないようにしましょう!
なんだか当たり前のことを言っているようですね。
ですが、これが意外と難しい。
否定的な感情は瞬間的に抱いてしまうものであり、それをそのまま口に出さないようにするには訓練が必要だと思うのです。
思ったことをそのまま口にしない訓練です。
社会に出るとややこしい人間関係も存在するので、自然にそれはできている。と思い込んでいるかもしれません。
しかし、それが親しい人にも適用されているかは分かりません。
特に家族間になると何を言っても受け入れてもらえるだろうという安心感からついつい、抱いた感情をそのまま伝えてしまうことがあります。
家族というのは無条件に愛される場であり、自己肯定感を身につける場であるということが私の理想です。
そのため、家族に趣味を馬鹿にされたり否定的なことを言われたりすることは、自己肯定感の形成にとってマイナスであると考えます。
もちろん、そんなことは気にならない。という人もいるとは思いますが、気にしてしまう人がいることも事実です。
だから人の趣味を否定・批判しないようにする訓点が必要だと思うのです。
初めは思ったことを言わないようにすることが目的ですが、最終的には批判の感情を抱かないようになることが目標です。
言わないことと同時に批判的な感情をプラスに感じられる別の面から捉えるようにするのです。
否定的な感情を抱くよりも自然と人の良い面に着目できる。そんな人になりたいです。
備忘録③ 付き合うなら自慢できる人と
これは私の備忘録です。
これまでの人生で得た覚えておきたいことをメモします。
今回は付き合うなら自慢できる人と、というタイトルにある通り友人に自慢できるような人と付き合いましょうというお話です。
何もイケメンだったり、年収が高かったり、いい企業に勤めている、などといった自慢できるような「要素」を持った人と付き合えといっているのではありません。
周りの人に心からこの人と付き合えて幸せ、と自慢できるような人と付き合った方がいい、ということを言っています。
ですので、あなたがいいと思う人なら例え身長が低くて、学がないヒモ男であろうとそれでいいのです。
重要なことは恋人はどんな人?と聞かれて、こんな風に素敵な人!と自信を持って言えるような人であれ、ということです。
そのような恋人はきっとあなたの自尊心を高めてくれますし、一緒にいるだけで満たされるような恋愛ができるのではないでしょうか。
こんな風にいうのは私のこれまでの経験が元になっています。
私の今の恋人は最高に優しくて面白くてかっこいい上に可愛い、そんな素晴らしい人です。(私目線です。思いっきり色眼鏡で見ています。)
ですが、その前に付き合っていた人はお世辞にもそうであるとは言えませんでした。
以前付き合っていた彼は頭が良く、話も面白かったのですが、自分に自信が全くない人でした。そのため、一緒にいると相手の自尊心を高めるような言動をしなくてはならず、疲れることも多かったです。
そして別れる3ヶ月ほど前からは、もう相手のことが好きではなく惰性で付き合っている状態でした。
そのため、友達から最近どう?と聞かれても「うん。まあ。」とごまかすことしかできませんでした。
この彼と別れた時には友人に「別れてよかった。」とまで言われました。
付き合っていた時の私は周りから見ると相当しんどそうに見えたそうです。
今の彼と付き合ってからは、友人たちにも「ものすごくいい人!」と彼の自慢をしていますし、「幸せそうでよかった」と言われるまでになりました。
今の彼氏と付き合っている方が私の精神も安定していますし、一緒に居られる毎日が幸せです。
付き合っていて幸せ。そう思えるような相手と付き合う。
これができると人生はもっと楽しくなるでしょう。
備忘録② 食の好みが合うのは大事
これは私の備忘録です。
いつか来たる時に理想の親になれるように、そうでなくても自分が理想とするような生き方ができるように気になったことをメモとして残します。
長く付き合っていく上で食の好みが合うことは大事だと思います。
以前どなたかのブログで読んだのですが、結婚して子供ができると夫婦の会話のほとんどが子供に関することか、食に関することになるそうです。
私はまだ結婚を考える状況にはないのですが、食べ物の話をすることはよくあります。
1日2.3回は食べ物を食べる機会があるので話題に多く上がることは自然なことだと思います。
この時、食への話題に対してお互いに同じ感覚を抱いていると話が盛り上がる、と思います。
例えばどちらか片方だけがこだわりが強く、もう片方は関心が薄い場合。この場合趣向を凝らして料理を作っても興味のない側がそれに気づかないかもしれません。
私のいう「食の好み」とはそういうことです。
食に関してどこまで関心があるか。その関心が似たようなものだと関係性が長続きするのではないかと思います。
私の彼氏は料理上手です。
麻婆豆腐や青椒肉絲などは調味料で味付けしますし(素を使用しない)、よだれどりや、豚チャーシューもいとも簡単に作ってくれます。
私よりも確実に料理上手です。
彼と付き合い始めてから山椒やわさび、柚子胡椒といった薬味の美味しさに気づくことができました。
また、この料理にはこの調味料使った?などと料理に関する話題が出てくることが増えました。
美味しいお店もたくさん教えてもらいました。
誰と付き合うかでこんなにも豊かになれるんだと驚いています。
私たちは「食の好み」が合うと自負しています。
お互いに食べることが大好きで、お家で食べるにしてもお店で食べるにしてもいつも楽しく美味しく料理を食べています。
食べることが好きなおかげで2人とも付き合った当初よりも体重が増えてしまったことは周りの人には内緒です。
今は2人で一緒に痩せようと頑張っています。
食の好みが合うことが大事だと書きましたが、結局は2人の共通の趣味や2人で取り組めることがあればいいのではないかと思います。
その中で私たちは食べることが大好きなので、食の好みが合う人と付き合えたことは本当に幸せです。
備忘録① 自分が抱く理想の親になりたい
これは私の備忘録です。
20歳を超えて、結婚出産が現実味を帯びてきた今、理想の親になれるように気になったことをメモとして記します。
私は母親と接していると時々謎のわだかまりを感じることがある。
なぜだろうと思っていたのだが、最近になってようやくわかった気がする。
母は過保護であり、子供のしようとすることを高頻度で否定してくるのだ。
それは母が子を思う気持ち故である、ということを私は理解している。
子を思う気持ちであるがゆえにこちらとしては歯がゆい気持ちになってしまうのだ。
例えば、洗濯物を干そうとした時。
母が次の日仕事で早く寝たいといっていたため、私が代わりに洗濯機を回し洗い物を干す旨を伝えた。すると、そんなことはしなくていいの一点張り。(私はすでに一人暮らしをしており、ある程度の家事はできるという自負がある。)なぜしなくていいのか、なぜさせてもらえないのか。その理由を尋ねたが、満足のいく返事は得られなかった。
例えば、お茶を沸かそうとした時。
お茶なくなったら沸かしておいて。と言われていたこともあり、夜も遅めの時間にお茶を沸かそうとするも遅くに沸かさなくていい。と言われる。この時母は近くの部屋で布団に入っており、ガスに火をつけた音が聞こえたため起きてきたらしい。
例えば、イッヌと散歩に出かけた時。
お犬様の意向に従おうと思って自由にさせていたら、かなり遠くまで歩いてしまい帰りが遅くなった。そういう時大抵母は家の前の道路に出て私の帰りを待っている。時には自転車で近隣を探し回ることもある。少し過保護が過ぎるのではないか。私はもう成人しているし、携帯も持って出歩いている。帰りが遅くなったとはいえ家を出てから20分ほどしか経っていない。もう少し家の中で待っていてはくれまいか。
例えば、子供が学校からもらってきたプリントを出さない時。
心配だからという理由で子供の鞄を勝手に開けてプリント類を見る。エロ本とか入ってたらどうするの。見られたくないもの入れてたらどうするの。子供にもプライバシーはあるんです。
基本的に母のことは大好きなのだが、時々こうしたことに対して疑問を抱いてしまうことがある。
自分が感じた疑念に対して、同じことを繰り返さないようにここから学んでいきたい。
田舎暮らしを憂いていたら、彼氏が大好きだという事実に気がついた。
私の実家はいわゆる田舎です。
完全な車社会で、おじいちゃんおばあちゃんの住んでいる割合が高く、子供は少ないです。
私が通っていた小学校は2年前から近くの小学校と統合しました。
1年後には新しい校舎ができ、通っていた小学校は完全に廃校になります。
路線バスはバス停じゃないところでも手をあげると停まってくれます。
帰りも同じです。運転手さんにここで降ろしてください、と場所を伝えるとその場所で降ろしてくれます。
そんな便利なバスですが、駅へ向かうものが1日4本、駅からうちへ向かうものは1日3本。時間も非常に限られています。
周りはおじいちゃんおばあちゃんと同居している家庭が多く、近所の人たちとはすれ違うと挨拶をするので大体が顔見知りです。
いまだに屋号も通用します。おじいちゃんおばあちゃんにはそのほうが伝わります。
このような田舎に住んでいる私ですが、自分の居住地を田舎なんだと認識したのは大学に入ってからです。
それも帰省した時に強く感じます。
友人たちは帰省すると友達と遊んだりどこかに出掛けたりするようです。
しかし私はというと、基本家にこもったままイッヌの散歩くらいしか家を出ることがありません。
というのも、足がないからです。
車がないのです。
両親は共働きで、どちらも朝早く家を出ます。
自転車はあるのですが、自転車で駅に行くには早くて30分長くて1時間かかります。
しかも最近暑いじゃないですか。こんな炎天下の日々に自転車を長々と漕ぐものじゃないですよ。
ということで私は出かけようにも、足がなく必然的に家から遠出することができないのです。(怠惰なだけ?)
ここにきて初めて都会暮らしの人を本心から羨ましいと思いました。
もちろん、これまでも都会暮らしはコンビニも近くにあるし、歩いてお買い物に行けるし、夜遅くまで出歩くこともできるし、自分で(親に送ってもらわずに)学校に通ったり遊びに行ったりできるし、いいなあと思ったことは多々あります。
ですが、田舎は自然が多く、夜は静かで近所の人たちとの交流もあり、いいところだと思っていました。
しかし、今回は一人暮らしをして自由に出歩いていた経験があったのでこの立地に対する不満を強く感じてしまいました。
加えて、一人暮らしの時には彼氏とほぼ同棲状態だったので、彼氏に会うことができずに寂しさを募らせていることも不満を感じてしまった一つの要因だと思います。
早く彼氏に会いに帰りたい。
本音はこれに尽きます。
今までの話なんやねん。て感じですね。
でもようは早く彼氏に会いたいんです。
なんなら帰省してきた初日から会いたいです。
私に移動手段があれば、この気持ちを紛らわすべく遊びに行ったり買い物に行ったりできるのに。
なんなら会いに行くことも不可能ではないのに。(片道8時間以上かかるけど)
そう思えるだけでも楽な気持ちになります。
彼氏に会いたい〜。ずーっとそれを考えています。
ラインの返事が返ってくれば嬉しくなるし、なかなか既読がつかないと心配になるし、私は全力で彼氏に恋をしています。
はー好き。
書いていてなんの話かわからなくなってきました。
田舎に飽き飽きしてきたという話だったのですが、よく考えるとそれは彼氏に会えないからだ、という結論に至りました。
私の中でそれだけ彼氏の存在が大きいのです。
私の恋人には依存性があるのです。
毎日会っていても、またすぐに会いたくなる。
いったい彼はどんな魔力を使っているのでしょうか。
兎にも角にも素敵なのです。最高なのです。
優しいし、料理が上手だし、掃除や洗濯もしてくれるし、頭はいいし、話は面白いし、私の話を聞いてくれるし、不安になった時には慰めてくれます。
こんなに素晴らしい人がこの世にいるんだ!と付き合いを重ねるにつれて驚きが大きくなっています。
こんな素敵な人と出会うことができて、なおかつお互いにお互いのことが好きで、一緒に暮らせている。
こんなにも幸せなことがこの世の中にあるんですね。
本当に愛しい人といるだけで幸せになれます。
寝顔を見ているだけで癒されます。
つまり私は彼氏が大好きなのです。
素敵で最高な彼氏に早く会いたい!
家族も好きだけど、それが薄れるくらいに今は彼氏が大好きです。
こんな感情を教えてくれてありがとう。
この感情が今だけでも、それでも味わうことができただけで幸せです。
本当に大好き。
私が実家から帰ったらいっぱいハグしようね。
我が家のイッヌとの一大イベント
夏季休暇のため実家に帰省しております。こんぶです。
実家では芝犬を飼っているのですが、こやつに懐かれているのかどうなのかいまいち掴みきれません。
というのも、こやつを飼い始めたのは私が大学1年の夏頃。私が実家から出て一人暮らしを始めてからなのです。
現在大学4年ですが、1年に3.4回、合計で1ヶ月ほどしか帰っていない私が懐かれているのか。
それは私にとって長年の疑問でした。(イッヌがうちに来てから3年ほどしか経っていません。)
そんな中、今回の帰省ではイッヌと私との仲を知ることができる重大なイベントが発生したのです!
それは、散歩です!
実はわたくし、散歩をしたことが一度もなかったのです。
なので今回の散歩はドキドキです。
嫌われてないだろうか、家族だと認めてくれているのだろうか、咬まれやしないだろうか、ビクビクしております。
怯えた私とイッヌとの散歩が今幕を開けました。
今回は初回ということで母が同伴してくれました。
初めからいきなり私が首紐を持ち、歩き始めます。(力が強かったらどうしよう)
こやつ、さては足が速いな...!
私は瞬時にそう判断し、足が遅いと見くびられないよう急ぎ足で歩きます。
これで舐められることはないだろう。
その瞬間!
イッヌがピタリと止まりました。
慣性の法則に従い前のめりになる私。
涼しい顔をしているイッヌ。
さてはこやつ、できるな。
転びそうな私をよそ目に優雅に川(用水路)の水を飲むイッヌ。
なんや、欲望に忠実か!良いな!
そんなこんなで始まったイッヌと私with母の散歩。
イッヌはこれ以降大人しく私の前を歩いていました。
(完全に下に見られているのでは...。)
多少の疑念を抱きつつ散歩は続きます。
とここで予想していなかったアクシデントが生じてしまいました。
母の離脱!
いやー、焦りました。
1人で行けるでしょ、あとよろしくー。って軽いわ!
こっちがどれだけ散歩という一大イベントに恐れながらも取り組んでいるのかわかってないだろう!
まさかそんなこと言えるはずもなく、1匹と1人による散歩となりました。
走るイッヌ、必死に追いかける私。
どこへ行くかはイッヌ次第。
気づくとそこは墓地の入口でした。
墓地を走るイッヌ、追いかける私。(首紐はきちんと持っています)
この追いかけっこはイッヌが墓地の草むらでウンチをしたことにより終わりを迎えました。
...終わったと思いました。終わったと思ったのに!
なぜだ、なぜまた走るんだ。なぜ帰りも追いかけっこと慣性の法則を繰り返しているのだ。
私はもう帰りたいんだーーーー!!!
今回の一大イベント「お散歩」により得られた成果はいくつかあります。
・イッヌは急に止まれるが、私は急には止まれない。
・イッヌ足速い。
・イッヌ私を下に見ている。(のでは)
・誰もいない夕方の墓地は怖い。
・サンダルは追いかけっこに向いていない。
これらの収穫を胸に、近日中にもう一度お散歩という名のイベントに参加する所在です
。