自分の気持ちを伝えるis大事
恋人と喧嘩した。
友人のイライラがこちらにまで伝わってきて、気分が悪くなった。
そういう時に私はすぐに気分を切り替えられないタイプの人間です。
一旦自分の感情に不穏な影が立ちこめてしまうと、なかなか拭い去ることはできません。
だから、すぐに切り替えられる人のことを羨ましく思います。憧れます。
相手の機嫌が悪い時、放っておいても拗ねられるし、構っても何も言ってもらえないしで、いやになることがあります。
どっちにして欲しいのか、せめてそれだけでも伝えて欲しいです。
自分は今こういう気持ちだからあなたにはこうして欲しい。
これを伝えられるともっと幸せに生きられるのではないでしょうか。
一筋縄ではいきませんけどね。
ものすごい愛さんから希望をいただきました。
ものすごい愛さんの「ものすごい愛のものすごい愛し方ものすごい愛され方」を読みました。
ものすごい愛さんはTwitterのフォロワー約10万人を有するスーパーポジティブなお方です。
TwitterやWeb連載を通じてハッピーな生活の一部を紹介してくれています。
この本はエッセイ本で、日常をハッピーに生きるためのものすごい愛さんなりの心得が書かれています。
本を一読して、ものすごい愛さんは本当に実在するのか?と疑念が深まってしまいました。
それくらい私にとってすごく自由にいきているように感じたのです。自由にのびのびと生きて、かつ旦那さんや友人に恵まれている。
こんな幸せそうな人本当にいるの?しかも無職だよ?
実在するとしてもしないとしても、これだけ楽しいエッセイを書いているのだからきっと良い人なのでしょう。
改めて本の中身についてなのですが、自分の気持ちを言葉に出すことの大切さを再認識しました。
楽しい時や嬉しい時、いわゆるプラスの感情を口に出すことは積極的にしているつもりですが、怒りや悲しみなどマイナスの感情になると一気にできなくなっています。
ここまで恨みつらみも打ち明けて良いのかー、引かれないものなんだなあ、と驚いております。
マイナス感情を言葉に出して、しかも相手に伝えることは時に恐ろしいことです。
私はそれができず一番面倒くさい察してちゃんになっていました。
最近は親しい人に気持ちをきちんと伝えるようにしていますが、察してちゃんだった頃よりも人と仲良くなれている気がします。
察してちゃんだった頃の私に言いたいです。
人の気持ちを察するのは無理だよ!
察してちゃんの悪いところは自分の気持ちを言わないくせに構ってもらえないと拗ねるわ機嫌が悪くなるわ。さらに相手が少しでも苛立ったような顔を見せると、私のせいで気分を悪くさせてしまった。こんな私は人と一緒にいるべきじゃないんだ。と勝手な被害妄想を抱いてさらに落ち込む泣き出す。にも拘らずまだ自分の思ってることは伝えない。どうせ聞いてもらえない。わがままな気持ちだから言えない。などと相手が悪い、または相手に悪い、とあくまでも相手のせいにして自分の気持ちを話さない。
面倒くさい!
自分の気持ちを伝えて、それが否定されることバカにされることが怖いからといって相手を悪者にする。
話しているだけ損だわ!
ちょっとで良いから自分に自信持とうねーって言いたくなりますね。
まあこれ、ほんのちょっと前までの私なんですけどね。
思ったことを言わないくせにその思ったことが原因で2時間近くぎゃん泣きする。
機嫌が悪いけど、なぜかを伝えないことで相手の機嫌も悪くしてしまう。
...こんなことが日常茶飯事でした。
流石に2時間近くぎゃん泣きは日常茶飯事ではありませんが、日常的によく泣きます。
ものすごい愛さんの本を読んで、マイナス感情も伝えるようにしたらこの現状が変わるかも、と希望を見出すことができました。
ありがとうございます。
ミニマリスト目指したら彼氏と喧嘩した話
以前ミニマリストを目指してものを捨ててみた、という内容の記事を書いたのですが、ものを捨てた結果彼氏と喧嘩をしてしましました。
というか、彼氏を拗ねさせてしまいました。
一体何をしたのかというと...
彼氏からもらったものまで捨てようとした
これです。
やってしまいました。
現在彼氏とは半同棲のような状態で、同じ家から通学しています。
そのため私が断捨離のごとく、ものを捨てまくっていた時も彼はずっと下手にいました。
その断捨離中に彼に聞いてしまったのです。
「これいらないんだけど、捨てていい?」
「もともとこの色そんなに好きじゃなかったし。」
わざわざ聞かんで良いがな。
なんで今言うねん。て感じですよね。
彼からもらったものは小さな亀の置物で、4.5ヶ月前にもらいました。
繰り返しになりますが、なぜ今言うのか。
今更!と言う気持ちも相まってそりゃ怒るわ!拗ねるのも当然ですわ!
せめて言うならその時に言うか、ずっと言わないかどっちかにしろよ!
しかもせっかく選んだものの色好きじゃないとか言われたら、これからもの送るとき躊躇するわ!
と、今なら冷静に振り返ることができますが、その時の私にとってはものを減らすことが最優先でした。
生活に必要ないものは部屋に置いておく価値がない!と激しい主張を掲げ、部屋にあるものを減らそうとしていました。
そして彼氏を怒らせてしまいました。
もらったものを捨てる、と言う行為が全て悪だと言うわけではありません。
むしろそんなことをしていたら部屋中が物で溢れかえってしまいます。
ですが、何も最愛の人からもらったものまで捨てなくてもいいんじゃないでしょうか。
彼氏に苦言を呈されたことで、異様なまでにものを減らそうとしている自分に気がつきました。
一緒に暮らしている人の機嫌を損ねてまで、部屋を綺麗にする必要があるのか。
ミニマリストを目指したのも、自分にとって快適な空間にしようと思ったからであって、ミニマリストになろうとするその過程で居心地が悪い空間を作っていては元も子もありません。
そこでこれからは
自分にとって居心地の良い空間づくり
を目指してゆるーく部屋を片付けていきます。
この結論に至ったのであれば、亀を捨てようとしたことも正解だったかなと思えます。(断じてそんなことはないです。)
まあ、結果として亀は机の上で私たちを見守ってくれていますし、彼氏とは相変わらずラブラブしていますし、良いことだらけでハッピーです。
なんの話をしていたのでしょうか。
D・カーネギーに学ぶ人の動かし方
人付き合いをうまく行う上で、相手が思い通りに動いてくれたら、と思うことは多々あるのではないでしょうか。
私は人付き合い、コミュニケーションが苦手であるため、そう思うことが1日に何度もあります。
軽く見知った程度の人を街中でみかけようものなら、すれ違わないように回れ右をして引き返しますし、学校ではトイレでさえもなるべく人と会わないで済むように人気のないトイレを利用しています。
そんな私がコミュニケーションの参考になれば良いと思い、D・カーネギー著「こうすれば人は動く」を読みました。
D・カーネギーは人間関係の先覚者として有名な人物で、1936年に出版された「人を動かす」は全米ベストセラーとなりました。日本でも非常に評価が高く、また人気のある作品です。この本はそんなD・カーネギーが企画・出演した伝説のラジオ講座の書籍版です。
この本では人を動かす際に心に留めておくべき20の教訓を「成功ノウハウ」として紹介しています。
本を通じて特に重要だと思ったことが4つあります。
- 相手に興味を持つこと
- 感謝を伝えること
- 恐怖心に打ち勝つこと
- 相手に重要感を与えること
これらは一体どういうことでしょうか。
正直1と2に関してはこれまでも散々見聞きしたことがあると思います。
親しくなりたければ相手に興味関心を持つのだ、感謝の気持ちは魔法のようなものだから積極的に使っていこう、等々。
そんなことはわかってるんです。知識として持っていても、それでコミュニケーションが改善されたことはないんです!
ここで重要になってくるのが 3.恐怖心に打ち勝つこと です。
知識があっても改善していないのは実際に行動に移せていないから。
そして、行動に移すことを妨げているのは自分の中にある恐怖心。
だから恐怖心に打ち勝つことが必要。
恐怖心は自分の中にしかないんだから。
周りの人は思っているよりも自分に興味はない。
これらもわかっているつもりなんですけどね。
実際に行動に移せていませんものね。
やっぱり恐怖心をコントロールできるようになるしかないんでしょうか。
やってみると意外と怖くなかった、っていうそんなオチなんでしょうけどね。
私が一番驚き、ためになったことが 4. 相手に重要感を与える というものです。
本の中での印象的な逸文を紹介します
「人間性の最も深い部分にある衝動、それは自分が重要な人物であるという認識を得たいという欲求である」
人は自分が特別であると思いたい、そのため不平不満を言っている人に何かしらの方法で自分は特別である、重要であるということを感じさせた結果、不平不満が止まり、とても優秀に働き始めた。
という描写が本文にはあります。
人間関係をうまくいくようにするためにはこの部分、相手に重要感を与えることが役に立つのではないかと思います。
確かに自分のことをいい気にさせてくれるような人と関わりたいですもんね。
以上、コミュニケーション苦手な私が「こうすれば人は動く」を読んで重要だと思った点4つでした。
今の私にとって一番重要なのは 3. 恐怖心に打ち勝つこと ですね。
ぶっちゃけこれができれば私の悩みは大方解決するんじゃないかと思うレベルです。
...頑張ります。
「こうすれば人は動く」では具体例をもとに人を動かすため、収入を増やすため、今よりもより良い生活を送るためのアドバイスが示されています。
アメリカでの実話が元になっているので日本では当てはまらないようなこともあるかもしれませんが、それを差し置いても非常にためになる内容です。
下手に「初対面でも話が続く!10のテクニック」とか言った風な本を読むよりはよっぽど有益だと思います。
Amazon primeに加入している人ならKindle版を無料で読むことができます。
ミニマリスト目指して!初心者が捨ててみた3つのもの
唐突ですが、ミニマリストってかっこいいですよね。
ミニマリストしぶさんのブログ(ミニマリストしぶのブログhttps://sibu2.com/)を一気読みしたから、その影響を受けているということもあるのですが、物が少ない綺麗な部屋に憧れます。
そこで、初心者の私も部屋のものを減らすべくバシバシ捨ててみました。
捨てたもの
1.服
2.靴
3.推しアイドルのグッズ
バシバシ捨てたと言っても集中力が続かなかったので、今回はこの3つに絞って減らしました。
1.服
持っている服は多いのに、着る服がない、という状態によく陥っていた私。その状況を改善すべく、普段よく着る服だけを残すことにしました。
その結果、15分の取り組みでゴミ袋2袋分減らすことができました。
しぶさんの教えに従い、捨てたものはなぜ捨てたのか書き出すことにより、反省を次回に活かしていきます。
捨てたものの特徴としては以下のようなものがあります。
・いいなと思って買ったものの結局着ていないもの
買った当時はその服が流行っていたんです...。流行を取り入れたファッションをしていたらオシャレに見えるんじゃないかなって、そう思ったんです...。でも自分はファッションやおしゃれというものに疎く、到底着こなすことはできませんでした。諦めて無難なものを買うようにします。
・体型を隠すために着ていたもの
自分の体型、太い足やプニプニした二の腕がコンプレックスで体型が隠れるようなゆったりした服を多く持っていました。しかし、これらの服は私が本当に着たいものではありません。そのため、今回思い切って捨てることにしました。これを機にダイエットにも取り組んでいく所在です。
・ヨレヨレになっている古い服
着古した服が意外と多かったです。そして着古している服はだいたいお気に入りの着る頻度が高い服でした。長く着用することはいいことですが、お気に入りの服であるからこそ綺麗な状態で身に付けたいものです。上記のような理由で捨てた服を買わずに同じ服を買えばいいや、と思い処分しました。お気に入りを着ている時こそ清潔感が欲しいですからね。
・中学生の頃に買った服
私は現在21なのですが、中学生の頃に買った服をまだ持っていたんです。中3の時に買ったとしても実に6年以上!流石にデザインを今着るには幼稚すぎる...。(ぽいっ)
2.靴
靴も意外と多くあるものですね。普段使っているのなんて2,3足ですよ。
靴についても捨てた理由をまとめました。
・ヒールが高い靴
普段全くヒールが高い靴を履かないのに、5足もありました。ここ3ヶ月は履いた記憶がないです。ということはヒールなんて私の生活にはいらないじゃないか!(錯乱)
・水が染み込んでくる防水靴
意味ないですよね。防水靴としての。普通のスニーカーと同じくらい簡単に水染み込んできますからね。もったいない精神でまだ履ける、と捨てずにいたのですが、新しいものを買い直した方が、いちいち濡れる心配をしなくて良いので精神面にも有効だということに気づきました。
・使い古した運動靴
こちらもまだ使うかも、ととっておいたものです。新しい靴を買ったにも関わらず、です。新しいものがあるので迷うことなくさよならしました。
目指せミニマリストとして始めた片付けを通し、私がものを溜め込みがちなのはもったいないっていう気持ちが原因なんだと気づきました。
いつ使うかわからないもったいないもののために貴重な場所が占領されてしまうことの方がもったいない!その考えにまでたどり着けるようになりたいものです。
3.推しアイドルのグッズ
こちらは服や靴とは系統が違ったのでまとめっぽいことを書いた後に持ってきました。
私はジャニーズグループとラブライブ!が好きです。ジャニーズに関してはライブにも行っていますし、ラブライブ!はフィギュアがあります。
その中でも今回手放したのはジャニーズのライブグッズです。
なぜ手放したのかというと、私の生活には必要ないなと感じたからです。
ライブはもちろん楽しいですし、今もファンです。
ですが、グッズ使わなくない、と思ってしまったのです。
一度そう思ってしまうと、とっておくという選択肢がどんどん小さなものとなっていき手放すことにしました。
(手放したのはグッズだけで、観てなんども楽しめるようにライブDVDは保管しています!)
ラブライブ!のフィギュアに関しては、捨てられませんでした!
だってとても可愛いんですよ、愛くるしいです。
これは今の私にとって必要なものなんだと認識できたので良かったです。
ものを減らそうとしてまず服と靴の整理に取り組んだわけですが、思った以上に難しかったです。
捨てる時に必要なエネルギーが想像以上でした。
あれこれ迷ってしまうんですね。まだ使えるんじゃないか、なんて。
時間を区切り、範囲を制限したことが今回ものを減らすことができた要因の一つだと思っています。
そして、趣味のもの(私の場合は推しアイドルのグッズ)は整理に慣れた後にするべきだと思いました。当たり前ですけどね。
下着って恥ずかしいものですか?
女性なら避けては通れない下着の話。
あなたは下着に興味がある人ですか?それとも興味がなく、適当なものでいいと思っている人ですか?
私は断然興味がある側の人間です!かわいい下着を見るとテンションが上がります。
しかし、少し前までは下着は適当なものをつけてさえいればいいと思うタイプの人でした。どうして私が下着に興味を持てたのかというと、それはちーちょろすさん(lingerie1108)をツイッターで知ったからです。
ちーちょろすさんはツイッターなどのSNSで「下着の魔法使い」として活動されている方です。元下着販売員の経験を活かし、下着の基礎知識や下着を通して女の子を楽しむための情報を発信していらっしゃいます。
女性の方だけでなく、男性にもちーちょろすさんの活動を知ってほしいです。
ちーちょろすさんの発信をみて、下着はお洋服を綺麗に見せるために生まれたものだと初めて知ることができました。下着は胸が垂れないようにするためのものだと思っていたので、驚きでした。
それからややあってすっかり下着が好きになった私は、ある日新しい下着を買ってウキウキしながら、そのまま彼氏と待ち合わせをして夕食を食べに行きました。
食事自体はいつもどおりとても楽しいものでした。しかし、帰り際に彼に言われた一言でこうして記事を書くほどにとてもモヤモヤしてしまいました。
「下着屋さんの袋持って出歩くのすごいね」
彼曰く、下着は見せるべきものではないという考えがあるらしく、よく下着屋さんの袋を持ってご飯食べに行けるね、とのことでした。
私は悲しくなりました。それまで可愛い下着を買えた〜と思ってウキウキしていた気分が一気に沈んだようでした。下着は隠すべき恥ずかしいものなのでしょうか。下着屋さんの袋ですら見せてはいけないのでしょうか。
下着なんてほとんどの女性はつけています。社会に出ている人の2人に1人は身につけているものなんです。しかも下着屋さんでは普通に陳列されているじゃないですか。それすらも恥ずかしい、隠すべきだというんですか?なんでそんなに下着を特別視するんですか?
男性にとって下着は特別なものであるのかもしれません。自分が身につけることがない分、そこにフェチズムを感じる人がいるのかもしれません。見えない分下着に興奮するのかもしれません。
だったら、それなら、下着をもっと当たり前のものにしたらいい。特別だと思わせてしまうから、隠すべきもの、と言われてしまう。
下着はそんなに特別なものじゃないんですよ。自分にぴったりのものをつけるとお洋服のシルエットがとても綺麗に見えるし、胸が垂れにくくなるし、可愛いものをつけていると気分も上がるし、いいことがいっぱいあります。
どうか、それを恥ずかしいものと言わないでください。
きっと女性の中にも下着を恥ずかしいものと認識している人がいると思います。下着は恥ずかしいものではないんです。どうかちーちょろすさんのSNSを見てみてください。そして正しい知識をつけてください。それが下着を恥ずかしいものではなくさせるための第一歩だと思います。
ちーちょろすさんSNSリンク
Twitter : twitter.com/lingerie1108
Instagram : www.instagram.com/burapan.sakurazawa/
note : note.mu/usa3yamada
HTML名刺 : html.co.jp/lingerie1108
「言の葉の庭」に慄いてしまった
最近、新海誠監督の作品「言の葉の庭」を観ました。この記事にはネタバレを含みます。
以下、あらすじです。
靴職人を目指す高校生・タカオは、雨の朝は決まって学校をさぼり、公園の日本庭園で靴のスケッチを描いていた。ある日、タカオは、ひとり缶ビールを飲む謎めいた年上の女性・ユキノと出会う。ふたりは約束もないまま雨の日だけの逢瀬を重ねるようになり、次第に心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノに、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作りたいと願うタカオ。六月の空のように物憂げに揺れ動く、互いの思いをよそに梅雨は明けようとしていた。
(Amazonより引用)
この作品は映像がものすごく綺麗で、東京があまりにも綺麗に描かれていることに心が踊りました。タカオが靴職人を目指すという設定は少し説得力に欠けるかな、と思いはしたものの、物語自体はとても繊細でタカオの真っ直ぐさ、雪野さんの優しさがこちらにまで伝わってくるようでした。
しかし、私は大事なシーンで恐れ慄いてしまったのです。
そのシーンというのは雪野さんがタカオの告白を受け取らずに、断ったあとのシーンです。タカオは濡れた服を着て雪野さんの家を出ます。雪野さんはそこで改めてタカオの存在の大きさを認識し彼を追いかけます。ここです。まさにこの後です。タカオは追いかけてきた雪野さんに対して、好意を憎しみへと昇化させ、抱いた憎しみのままに雪野さんを罵倒します。
「あんたなんか嫌いだ!俺のことを子供扱いしやがって...」
それに対し雪野さんは思いの丈をぶつけタカオを抱きしめる...。
というお話なのですが、タカオの罵倒のどこに私が恐怖を感じてしまったかお分かりでしょうか。それは「好意を憎しみへと昇化させた」という部分です。好意と憎しみは表裏一体とも言いますし、昇化の方法としては最も手軽なものかもしれません。しかし、その憎しみを相手にぶつけることは、相手に呪いをかけるようなものです。自分が好きな相手から別れ際にお前なんか嫌いだ、最低だ、と人格を否定される。それは断じて気分がいいものではありません。人によってはこの言葉が呪いとなり、自己肯定感が著しく低下してしまうかもしれません。(私はその経験があります。)
雪野さんはここで怖じけずに想いを伝えられたから、この映画は丸く収まっています。ですが、それができない人もいます。だからどうかタカオ君には、憎しみを相手に伝えないでいられるような大人になってもらいたいです。あわよくば憎しみじゃない方法へ昇化出来るような強さを身につけてほしいです。そしてそれは、私の理想の大人像でもあります。